「中学受験・歴史攻略シリーズ⑩」明治維新〜近代国家への歩みと国際社会〜

前回の復習

260年以上続いた江戸幕府が終わり、日本は「天皇を中心とする新しい国づくり」という未知のステージへと踏み出しました。

これを明治維新と呼びます。

当時の日本の目標は、ただ一つ。

欧米列強(欧米の強い国々)に飲み込まれないよう、肩を並べるほど「強くて豊かな国」を作ることでした。

そのために掲げられたスローガンが、経済を豊かにし軍隊を強くする「富国強兵」です。

しかし、口で言うほど簡単ではありません。

「武士の特権をどうするか?」
「国民からどうやって税金を集めるか?」
「世界に通用するルール(憲法)をどう作るか?」

これまでの当たり前を次々と壊し、新しい制度を導入していく過程では、当然ながら激しい混乱や抵抗も起きました。

武士の時代の終わりを告げる「最後の大戦」や、国民が自ら政治に参加しようと立ち上がった「自由民権運動」など、明治時代はまさに「日本の形」が劇的に決まっていく激動の時代なのです。

この単元では、中学入試で合否を分ける「三大改革」の仕組みや、不平等条約を直そうと奮闘した外交を整理していきます。

日本が近代国家の仲間入りを果たすまでの、熱い歩みを一緒に追いかけていきましょう!

目次

五箇条の御誓文と新しい政治の仕組み

新政府がまず取り組んだのは、バラバラだった国内の意識を一つにまとめ、新しい国の形を世に示すことでした。

五箇条の御誓文(1868年)

明治天皇が神々に誓うという形式で発表された、新しい政治の基本方針です。

「広く会議を起こし、万機公論に決すべし(会議を開いてみんなで話し合って決めよう)」や「旧来の陋習(ろうしゅう)を破り(古い悪い習慣を捨てよう)」といった内容が盛り込まれ、近代化への強い決意が示されました。

中央集権への歩み

江戸時代のように各藩がバラバラに統治するのではなく、政府が全国を直接支配する「中央集権体制」を作るため、二段階の改革が行われました。

  • 版籍奉還(1869年): 全国の藩主(大名)に、土地()と人民()を天皇へ返させました。しかし、元藩主がそのまま「知藩事」として統治を続けたため、改革としてはまだ不十分でした。
  • 廃藩置県(1871年): 軍事力を背景に、一気に藩を廃止してを置いた、明治維新最大の改革です。元藩主は東京へ集められ、代わりに政府が任命した「府知事・県令(知事)」を現地へ派遣しました。これにより、ようやく政府の命令が全国に届く仕組みが完成したのです。
ここが試験に出る!

1.「版籍奉還」と「廃藩置県」の順番!
「版(土地)を返してから、藩を廃止(ストップ)する」という流れを意識しましょう。入試の並べ替え問題では、この間に「岩倉使節団の出発」などが挟まることもあるので注意が必要です。

2.五箇条の御誓文と「五榜の掲示」
「御誓文」は新政府の方針ですが、同じ時期に一般庶民向けに出された「五榜の掲示」も重要です。そこでは「キリスト教の禁止」などが継続されており、新政府がすぐには庶民の自由を認めなかったことがわかります。この2つの資料の「対象の違い」が狙われます。

三大改革:富国強兵の基盤

欧米に追いつくため、幕府は「教育・軍隊・税金」の3つを根底から変えました。

1.学制:1872年

「国民全員が知識を持つこと」を目指した教育改革です。

  • 内容:6歳以上の男女すべてに小学校教育を受けさせるもの。
  • 目的:近代国家を支える有能な人材を育てるため。
  • 実態:当時は子どもの労働力が失われることや、授業料が自己負担だったことに反対する農民たちの一揆も起きました。

2.徴兵令:1873年

「国民全員が兵士になること」を義務付けた軍事改革です。

  • 内容:満20歳になった男子に兵役の義務を課しました。
  • 目的:武士(士族)に代わる、近代的で強力な国民軍を作るため。
  • 実態:身分に関わらず兵役を課したため、特権を奪われた士族や、働き手を奪われる農民から強く反対されました。

3.地租改正:1873年

「国の収入を安定させること」を目的にした税制改革です。

  • 内容:税の基準を「収穫量」から「土地の価格(地価)」に変え、地価の3%を土地の所有者が現金で納めるようにしました。
  • 目的:天候に左右されず、政府の予算(収入)を安定させるため。
ここが試験に出る!

1.地租改正の「3つの変化」を言えますか?

  • 基準:収穫量 → 地価(土地の値段)
  • 方法:米(現物) → 現金
  • 納税者:耕作者(小作人) → 土地の所有者(地主)

「なぜ現金なのか?」と聞かれたら、「政府の収入を安定させるため」と即答できるようにしましょう。

2.「地価の3%」は高すぎた?

あまりに税率が高く、各地で地租改正反対一揆が起きたため、政府は1877年に税率を2.5%に引き下げました。この「3%から2.5%への引き下げ」は、数字の穴埋めでよく出ます。

3.富岡製糸場とのつながり

政府は産業を育てるため、群馬県に官営模範工場の富岡製糸場を作りました。ここで作られた生糸を輸出して外貨を稼ぎ、三大改革などの資金源にしました。「富国強兵」と「殖産興業」はセットで覚えましょう。

武士の終わりと自由民権運動

新しい改革によって、刀を取り上げられ(廃刀令)、給料も打ち切られた武士(士族)たちの怒りは頂点に達しました。

武士の反乱と西南戦争(1877年)

各地で士族の反乱が相次ぐ中、ついに最大規模の内戦が起こります。

  • 西南戦争: 維新の功労者である西郷隆盛を担ぎ、鹿児島の士族たちが挙兵しました。
  • 結果: 政府の近代的な徴兵軍(平民が中心の軍隊)に敗北。西郷は自害しました。
  • 歴史的意味: 「武士の力では、もう政府を倒すことはできない」ことが証明され、政府への反抗は武力から言論へと形を変えていくことになります。

自由民権運動

「武力ではなく、話し合いの場(国会)を作って政治を正そう」という動きが活発になります。

  • 民撰議院設立の建白書(1874年)板垣退助らが提出。これが自由民権運動の始まりとされます。
  • 不平士族と農民の合流: 最初は元武士たちが中心でしたが、地租に苦しむ農民たちも加わり、全国的な運動へと広がりました。
  • 板垣死すとも自由は死せず: 遊説中に襲われた際の有名な言葉です。板垣は後に日本初の政党である自由党を結成しました。
ここが試験に出る!

1.「西南戦争」の年号の覚え方

「いやな(1877)事件だ、西南戦争」
この戦争にかかった莫大な費用が原因で、日本はひどいインフレーション(物価上昇)に苦しむことになります。

2.板垣退助と大隈重信の「党」を区別せよ!

  • 板垣退助自由党(フランス式・急進的)
  • 大隈重信立憲改進党(イギリス式・穏健的)
    「板垣は自由だ!」とリズムで覚えましょう。大隈は後に早稲田大学を創設した人物としても有名ですね。

3.国会開設の勅諭(1881年)

運動の高まりに押された政府は、「10年後に国会を開く」と約束しました。これが後の憲法発布や国会開設へとつながる、大きな勝利の第一歩となりました。

憲法の発布と国会の開設

自由民権運動の高まりを受け、政府はいよいよ近代国家としての「ルール(憲法)」と「話し合いの場(国会)」を作る準備を整えました。

伊藤博文の渡欧と内閣制度

1882年、伊藤博文はヨーロッパへ渡り、君主(皇帝)の権限が強いドイツ(プロイセン)の憲法を学びました。

内閣制度の創設(1885年):憲法ができる前に、政治の責任分担を明確にするため内閣制度を作りました。

伊藤博文は初代内閣総理大臣に就任しました。

大日本帝国憲法の発布(1889年2月11日)

天皇が国民に授けるという形式(欽定憲法/きんていけんぽう)で発布されました。

特徴:天皇を「国の元首」とし、陸海軍を統帥(指揮)する権限など、非常に強い権限を与えていました。一方で、国民には法律の範囲内で信教や言論の自由が認められました。

第1回帝国議会の開設(1890年)

憲法に基づき、アジアで初めての本格的な議会(国会)が開かれました。

二院制:皇族や華族からなる「貴族院」と、選挙で選ばれた「衆議院」の2つに分かれていました。

最初の衆議院議員選挙

今とは全く異なる、非常に厳しい制限選挙でした。ここが中学入試の超頻出ポイントです。

有権者の資格(3点セットで暗記!)

  1. 直接国税15円以上を納めている
  2. 25歳以上
  3. 男子

結果:この条件を満たすのは全人口のわずか**約1.1%**にすぎませんでした。

ここが試験に出る!

1.「15円以上・25歳以上・男子」は書けるように!
記述問題で「最初の選挙権の条件を答えなさい」と言われたら、この3要素を漏らさず書きましょう。当時の15円は非常に高額で、ほとんどが地主などの富裕層でした。

2.憲法発布の日(2月11日)
現在は「建国記念の日」という祝日になっています。歴史と現代のつながりとして問われることがあります。

3.「内閣」が先、「憲法」があと
並べ替え問題の落とし穴です。
1885年:内閣制度(内閣が先!)
1889年:憲法発布
1890年:国会開設
この順番を「内・憲・国(ないけんこく)」とリズムで覚えましょう。

外交:条約改正への長い道のり

幕末に結ばされた「領事裁判権」「関税自主権」がない不平等条約を改正することは、日本が一人前の国として世界に認められるための明治政府最大の悲願でした。

岩倉使節団の派遣(1871年)

特命全権大使の岩倉具視を中心に、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、そして女子留学生の津田梅子らが欧米へ渡りました。

  • 目的:条約改正の予備交渉と、進んだ欧米の制度・文化の視察。
  • 結果:当時の日本はまだ「法律が整っていない」と相手にされず、改正には失敗。しかし、この視察がその後の日本の近代化(憲法作成など)に大きな影響を与えました。

鹿鳴館と欧化政策

外務大臣の井上馨は、日本が文明国であることをアピールしようと、東京に鹿鳴館を建て、連日のように舞踏会を開きました。

  • 批判:あまりに極端な「西洋の真似」に対し、国内からは「条約改正の精神を忘れている」と強い批判が起こりました。

ノルマントン号事件(1886年)

イギリス船が沈没した際、日本人乗客が見捨てられたのに、イギリス人の船長が軽い罪で済まされた事件です。

これがきっかけで「不平等条約を直せ!」という世論が爆発しました。

条約改正の「きっかけ」として名前を覚えておきましょう。

まとめ:明治維新と近代国家への歩み

年代 出来事 合言葉・ポイント
1868 五箇条の御誓文 「会議で決めよう」新しい国の約束
1871 廃藩置県 中央集権の完成。藩を県に変えた最大改革。
1873 徴兵令・地租改正 国の基盤(軍隊と税金)を固める。税金は現金に。
1874 民撰議院設立の建白書 板垣退助が提出。「話し合いの場を作れ!」
1877 西南戦争 西郷隆盛が挙兵。武力の時代の終わり。
1885 内閣制度の創設 初代総理大臣は伊藤博文
1889 大日本帝国憲法発布 アジア初の近代憲法(2/11発布)。
1890 第1回帝国議会 ついに国会(貴族院・衆議院)がスタート。

明治時代は、「国内の仕組みを整える(内政)」と「世界と対等になる(外交)」が、車の両輪のように連動しています。

例えば、「憲法ができたから(内政が進んだから)、領事裁判権が撤廃できた(外交が成功した)」という風に、出来事と出来事を「だから」でつなげるクセをつけましょう!

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