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前回の復習

近代的な憲法を作り、アジアで初めての国会を開いた日本。
国内の形が整った次なる目標は、欧米列強と肩を並べる「一人前の国」として認められることでした。
そのためには、幕末以来の不平等条約を完全に解消し、大陸へと勢力を広げることが不可欠だと考えたのです。
しかし、朝鮮半島や中国大陸の支配権をめぐり、近隣の大国との緊張がかつてないほど高まっていきます。
ついに日本は、古くからの巨大帝国である清や、世界最強の陸軍を持つといわれたロシアとの戦争に突き進むことになります。
この時代は、単に戦争の勝敗だけでなく、その結果「どの土地を得たのか」「賠償金は何に使われたのか」が中学入試で非常に細かく問われます。
日本が数々の困難を乗り越え、国際連盟の常任理事国という「世界の五大国」の一員へ駆け上がる激動の時代を確認していきましょう。
モコスタ責任者
小暮 真也

大学卒業後、大手進学塾にて25年以上にわたり中学・高校受験指導に従事。
圧倒的な指導実績と、海外7カ国での帰国生入試対策という独自のキャリアを持つ、受験対策のスペシャリスト。
主な実績・経歴
難関校合格実績: 男女御三家、早慶付属中高など、超難関校への合格者を多数輩出。
グローバル指導: 海外7カ国にて駐在員子女を対象とした帰国生入試指導を歴任。
キャリア: 25年以上の指導歴で培ったノウハウを「モコスタ」に全投入し、受験生を第一志望校合格へと導く。
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日清戦争と下関条約

1894年、朝鮮半島の支配権をめぐって、日本は当時の巨大帝国・清との全面戦争に突入しました。
戦争のきっかけと経過
朝鮮半島で、重い税金や外国の進出に反対する農民たちが甲午農民戦争(東学党の乱)を起こしました。
これを鎮めるために朝鮮政府が清に援軍を求めると、日本も対抗して出兵。
両軍が衝突したことで、日清戦争が始まりました。
近代的な軍隊を整えていた日本は、各地で勝利を収めます。
下関条約(1895年)
山口県の下関で結ばれた講和条約です。
- 日本の全権:伊藤博文(総理大臣)・陸奥宗光(外務大臣)
- 清の全権:李鴻章(りこうしょう)
【条約の主な内容】
- 朝鮮の独立:清は朝鮮が独立国であることを認める。
- 領土の譲渡:日本は遼東(リャオトン)半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島を譲り受ける。
- 賠償金:清は日本に2億両(テール)(当時の日本予算の約4年分にあたる巨額)を支払う。
三国干渉
日本の大陸進出を警戒したロシア・ドイツ・フランスの3国が、「遼東半島は清に返しなさい」と強い圧力をかけてきました。
当時の日本にはこれら大国と戦う力は残っておらず、悔しさを飲み込んで遼東半島を返還しました。
この出来事がきっかけとなり、日本国民の間で「次はロシアに勝つ」という臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の合言葉が広がることになります。
1.賠償金の使い道
得られた巨額の賠償金は、主に軍事力の強化や、福岡県に作られた官営の八幡製鉄所(1901年操業開始)の建設費用に充てられました。
2.陸奥宗光の「二冠」
陸奥宗光は、条約を結ぶ直前の1894年に領事裁判権の撤廃にも成功しています。「不平等条約の解消」と「戦争の勝利」という、明治外交の大きな成果を同時に成し遂げた人物として覚えましょう。
日露戦争とポーツマス条約

日清戦争後、満州(中国東北部)や朝鮮半島へと勢力を広げるロシアに対し、日本は国の存亡をかけて挑むことになります。
日英同盟(1902年)
強大なロシアに対抗するため、日本は当時「栄光ある孤立」を保っていた世界最強の国・イギリスと日英同盟を結びました。
これにより、ロシアの南下政策を食い止めるための後ろ盾を得ました。
日露戦争(1904年)
日露戦争では、日本は多大な犠牲を払いながらも優位に進めます。
特に東郷平八郎が指揮した日本海海戦では、ロシアのバルチック艦隊を全滅させるという、世界を驚かせる勝利を収めました。
ポーツマス条約(1905年)
戦争の継続が限界に達していた両国は、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介により、アメリカのポーツマスで講和条約を結びました。
- 日本の全権:小村寿太郎
【条約の主な内容】
- 韓国の指導権:日本が韓国に対する指導権・監督権を持つことを認める。
- 領土の譲渡:日本は樺太の南半分を譲り受ける。
- 利権の譲渡:遼東半島の租借権や、南満州鉄道の利権を譲り受ける。
- 賠償金なし:ロシアから賠償金は得られなかった。
日比谷焼打ち事件
戦死者や重税に耐えてきた国民は、当然「多額の賠償金」が得られると期待していました。
しかし、結果が「賠償金ゼロ」だったことに激怒し、東京の日比谷公園に集まった人々が暴徒化。
交番や新聞社を襲う日比谷焼打ち事件へと発展しました。
1.「小村寿太郎」の功績
小村はこの条約締結の6年後(1911年)に、明治外交の悲願であった関税自主権の回復にも成功しています。不平等条約を完全に終わらせた人物として、陸奥宗光と並んで必ず覚えましょう。
2.「日清」と「日露」の違い
入試では日清・日露戦争の内容を入れ替えた選択肢がよく出ます。「賠償金の有無」や「譲り受けた土地(台湾か樺太か)」をしっかり区別してください。
3.「日清」と「日露」の違い
日露戦争に出兵した弟を想い、詩『君死にたまふことなかれ』を雑誌「明星」に発表しました。当時の反戦の動きや文化的な出来事として記述問題や時事問題で狙われます。
韓国併合と辛亥革命

日露戦争後、国際的な地位を高めた日本は、大陸への進出をさらに本格化させます。
同時期、隣国の清(中国)でも大きな政治的転換が起きていました。
韓国併合(1910年)
日露戦争で勝利した日本は、1910年に韓国を日本の一部としました。
これを韓国併合と呼びます。
- 朝鮮総督府:統治のために、現在のソウル(当時は京城)に置かれた機関です。初代総理大臣を務めた伊藤博文は、併合直前の1909年にハルビンで安重根(アンジュングン)に暗殺されています。
- 統治の内容:学校での日本語教育や土地調査など、日本式の制度を導入し、植民地支配を強めていきました。
辛亥革命(1911年)
隣国の清では、長く続いた皇帝による政治を倒そうとする動きが爆発しました。
- 孫文(そんぶん):「三民主義」を唱えて革命を指導し、1911年に辛亥革命が起こりました。
- 中華民国(1912年):翌年、清が滅亡し、アジアで最初の共和国である中華民国が誕生しました。孫文は初代の臨時大総統に就任しました。
※三民主義とは「民族・民権・民生」の3つを指します。
まとめ:日清・日露戦争と東アジアの変容
日清・日露という二つの大きな戦争は、日本の立場を大きく変えました。
日清戦争では、多額の賠償金を得ることで八幡製鉄所に象徴される重工業化を成し遂げ、経済の基盤を固めました。
一方で、日露戦争では賠償金こそ得られなかったものの、欧米列強と肩を並べる国際的な地位を確立し、悲願であった不平等条約の完全解消(小村寿太郎による関税自主権の回復)へと繋がったのです。
この時期、日本は韓国併合を行い、朝鮮総督府を通じて植民地支配を強めるなど、大陸における支配力を強固にしていきました。
入試問題では、「下関条約」と「ポーツマス条約」の内容を入れ替えて受験生を揺さぶってきます。
「陸奥宗光は日清、小村寿太郎は日露」という人物の区別はもちろん、「賠償金の有無」や「得た領土(台湾か樺太か)」といった具体的な違いを、常に表で見比べるようにして復習しましょう。
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| コース/クラス名 | 概要 |
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