「中学受験・歴史攻略シリーズ⑦」江戸時代(1)~成立から鎖国への道のり~

前回の復習

100年以上続いた戦国時代。力がある者が勝つ「弱肉強食」の世の中に終止符を打ち、その後約260年もの長い平和を築き上げたのが江戸幕府です。

なぜ、江戸幕府はこれほど長く続いたのでしょうか?

その秘密は、徳川家康・秀忠・家光の初期3代の将軍が作り上げた「最強の支配ルール」にあります。

幕府は、力を持つ大名には「お金」を使わせて反乱を防ぎ、農民には「連帯責任」を負わせて年貢を確保し、外国からは「キリスト教」が入るのを防ぐために窓口を制限しました。

この「徹底的なコントロールの仕組み」こそが、江戸時代のテストで最も狙われるポイントです。

中学受験の重要ポイント
  • 大名を支配する仕組み: 「参勤交代」や「武家諸法度」など、大名が幕府に逆らえないようにした巧妙なルール。
  • 農民を管理する仕組み: 「五人組」や「慶安の御触書」など、幕府の財政を支える年貢を安定して取り立てる工夫。
  • 鎖国(外交)の仕組み: なぜ鎖国をしたのかという「理由」と、鎖国中でも開かれていた「4つの窓口」の場所。

歴史の勉強は「いつ・誰が」だけでなく、「なぜそのルールを作ったのか?」という理由をセットで覚えるのが合格への近道です。

それでは、戦国時代を終わらせたあの有名な戦いから見ていきましょう!

目次

江戸幕府の誕生と天下取り

豊臣秀吉が亡くなったあと、次なるリーダーの座をめぐる争いに勝ち、戦国時代に終止符を打ったのが徳川家康です。

1600年:関ヶ原の戦い

岐阜県で行われた、まさに「天下分け目」の戦いです。

  • 東軍徳川家康
  • 西軍石田三成

家康率いる東軍が勝利し、家康が実質的に日本を支配する力を握りました。

1603年:江戸幕府を開く

家康は、朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸(現在の東京)に幕府を開きました。

家康はわずか2年で将軍の職を息子の秀忠に譲りましたが、これは「将軍の位は代々徳川家が継いでいくものだ」ということを世間に示すためでした。

1615年:大坂の陣(大坂冬の陣・夏の陣)

家康は、依然として大きな力を持っていた大坂城の豊臣秀頼をたおしました。

これにより、戦国時代から続いていた大きな戦いは完全になくなり、徳川家による支配がゆるぎないものとなりました。

武家諸法度の発布

幕府は大名が反乱を起こさないよう、厳しいルールを定めました。

これが武家諸法度です。

  • 内容:許可なく城を修理してはいけない、勝手に結婚してはいけない、など。
  • 一国一城令:大名の領地にはお城を一つだけに制限しました。
中学受験のポイント!

1615年は「大坂の陣」で戦いが終わった年であると同時に、「武家諸法度」によって武力ではなく「法律」で支配する仕組みが整った年でもあります。この年を境に、日本は平和な時代へと大きく舵を切りました。

大名を支配する「巧みな支配術」

幕府が260年も続いた最大の理由は、全国にいる200以上の「大名」を完璧にコントロールしたからです。

親藩・譜代・外様(大名の配置)

幕府は、徳川家との親戚関係や忠誠心によって、大名を3つのグループに分け、配置場所を工夫しました。

  • 親藩:徳川氏の親戚。江戸に近い要所に配置。
  • 譜代:関ヶ原の戦い以前から徳川氏に仕えていた家臣。江戸の周りや重要な都市に配置。
  • 外様:関ヶ原の戦い以降に降参した大名。江戸から遠い場所(九州や東北など)に配置。
なぜ遠くに置いた?

もし外様大名が裏切って攻めてきても、江戸にたどり着くまでに時間がかかり、その間に幕府が準備できるようにしたのです。

参勤交代

三代将軍・徳川家光が「武家諸法度」に書き加えて完成させた、最強の支配ルールです。

  • ルール:大名は1年おきに江戸と自分の領地を往復しなければならない。また、大名の妻や子は「人質」として江戸に住ませる。
  • 目的(記述問題でよく出る!)
    ①江戸への往復や江戸での生活に多額の費用(お金)を使わせる
    ②大名の財政を苦しくさせることで、反乱を起こすための軍事力を奪う
中学受験のポイント!

「参勤交代」については、単に「江戸に行くこと」と覚えるのではなく、「経済的な負担を強いて、戦う力をなくさせた」という理由をしっかり答えられるようにしましょう。

また、副産物として、大名が行列を作って移動したために「街道(道)」や「宿場町」が整備されたこともあわせて覚えておくと、産業の単元でも役立ちます!

人々の暮らしと身分の支配

幕府が長期政権を築くためには、大名だけでなく、一般の人々の暮らしも厳しく制限し、反乱が起きない社会を作る必要がありました。

士農工商

幕府は人々の身分を、武士・農民・職人・商人の4つに大きく分けました。

  • 武士:名字を持ち、刀を差す特権(名字帯刀)を与えられ、政治や軍事をつかさどる支配階級。
  • 農民:人口の約8割を占め、幕府の財政を支える「年貢」を納める役割。
  • 職人・商人:城下町などに住み、ものづくりや商売を行う(あわせて町人と呼ばれました)。

五人組

農民を管理するために作られた、数軒を一組にする仕組みです。

  • 内容:年貢の納入や犯罪の防止について、組全体で連帯責任を負わせました。
  • 目的:誰かが年貢を納められなかったり、罪を犯したりした場合、組の全員が罰せられるようにすることで、農民同士を互いに監視させ、逃亡や反乱を防ぎました。

慶安の御触書

三代将軍・徳川家光の時代に出されたとされる、農民の生活を細かく制限したルールです。

  • 内容:「朝早く起きて草を刈ること」「お酒や茶を飲みすぎてはいけない」「麦やアワを食べ、米をたくさん食べてはいけない」など、日常生活の隅々まで指示が出されました。
  • 目的:農民を贅沢させず、一生懸命に働かせて、安定して年貢を納めさせるためです。
中学受験のポイント!

身分制度については、「なぜ農民が武士の次に置かれたのか?」という点に注目しましょう。 それは、農民が納める年貢こそが幕府や武士の生活を支える一番の基盤(土台)だったからです。「大切だが、反抗しないように厳しく管理する」という幕府の姿勢を理解しましょう。

また、五人組の「連帯責任」というキーワードは記述問題で非常によく使われます!

キリスト教の禁止と鎖国への歩み

江戸幕府にとって、キリスト教は「神の前では平等」という教えが封建的な身分制度を脅かす恐れがあり、またスペインやポルトガルによる日本侵略のきっかけになるのではないかと、強く警戒していました。

1637年:島原・天草一揆

長崎県の島原や熊本県の天草で起こった、大規模な一揆です。

  • 原因:領主による厳しい年貢の取り立てと、キリスト教への激しい弾圧に耐えかねた農民たちが、16歳の少年・天草四郎(益田時貞)を大将として立ち上がりました。
  • 影響:幕府に大きな衝撃を与え、これ以降キリスト教への弾圧と、外国との窓口を制限する動きがさらに強まりました。

信者を見つけ出す仕組み

一揆のあと、幕府はキリスト教を根絶するために徹底した調査を行いました。

  • 絵踏:キリストや聖母マリアが描かれた板(踏絵)を足で踏ませ、拒んだ者を信者として捕らえる方法。
  • 宗門改:人々がキリスト教徒でないことを証明させるため、必ずどこかの寺に所属させ、その記録を「宗門改帳」にまとめさせる仕組み(寺請制度)

鎖国までの流れ

  • 1612年:幕領に禁教令
  • 1616年:外国船の寄港地を「平戸・長崎」に限定
  • 1624年:スペイン船の来航禁止
  • 1635年:日本人の海外渡航と帰国の禁止
  • 1637年:島原・天草一揆
  • 1639年:ポルトガル船の来航禁止
  • 1641年:オランダ商館を長崎の「出島」に移す
中学受験のポイント!

「海外からの情報やキリスト教をシャットアウトするために、まずは日本人が外に出たり戻ったりするのを止めた。その後に一揆が起きて、トドメにポルトガル船を止めた」というストーリーで覚えると間違いません!

鎖国中の4つの窓口(例外をおさえる!)

「鎖国」という言葉から、日本が完全に世界と門を閉ざしていたと思われがちですが、実はそうではありません。

幕府は特定の4つの場所に限り、特定の国や民族との窓口を開いていました。

中学入試では、「どこで(場所)」「誰と(相手)」交流していたかを地図とセットで答える問題が非常によく出ます。

四つの窓口と交流の相手

場所(藩) 相手(国・民族) 特徴・キーワード
長崎
(幕府直轄)
オランダ・清(中国) 幕府が直接管理。人工島の出島で貿易。オランダからは『オランダ風説書』を提出させ、海外情報を独占した。
対馬
(対馬藩・宗氏)
朝鮮 将軍の代わりごとに朝鮮通信使が来日。秀吉の朝鮮出兵で悪化した関係を、家康が修復して交流を再開した。
薩摩
(薩摩藩・島津氏)
琉球王国 薩摩藩が軍事力で支配。琉球からも使節が送られた。中国と日本の両方に属する、独自の窓口となった。
松前
(松前藩)
アイヌ(蝦夷地) アイヌの人々と交易を行った。後に指導者シャクシャインが、不公平な取引に反対して戦いを起こした。

まとめ:すべては「幕府を守るため」

江戸時代(前期)の仕組みを振り返ってみると、すべての政策が一つの大きな目的に向かっていることがわかります。

それは、「徳川幕府の支配を、永遠に、ゆるぎないものにする」ということです。

幕府は、あらゆる階層に対して隙のない「管理の網」を張り巡らせました。

  • 大名に対して: 「武家諸法度」で自由を縛り、「参勤交代」で財力を削ることで、反乱を起こす力を奪いました。
  • 農民に対して: 「五人組」で互いに監視させ、「慶安の御触書」で贅沢を禁じることで、幕府の財政(年貢)を安定させました。
  • 外国に対して: 「鎖国」によってキリスト教という危険な思想をシャットアウトし、さらに貿易の利益や海外情報を幕府が独占しました。

国内の身分、大名の財布、そして外国との窓口。

これらすべてを管理下に置いた幕府の徹底ぶりこそが、戦国時代の「力による支配」から、江戸時代の「仕組みによる支配」への大きな転換点だったのです。

この強固な仕組みが完成したことで、日本は大きな戦乱のない「泰平(たいへい)の世」へと入っていきます。

江戸時代の基礎固めはこれでバッチリです!

次回は、平和な世の中で人々の暮らしや文化がどう変化していったか、「江戸時代(2)~元禄文化と産業の発達~」を攻略していきましょう!

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