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「中学受験・歴史攻略シリーズ④」鎌倉時代~武士の政治~

前回の復習

平安末期の争乱(源平合戦)を経て、源頼朝鎌倉幕府を開いたことにより、日本の政治は、天皇や貴族が中心の公家政権から、武士が中心の武家政権へと完全にバトンタッチされます。

中学受験において、鎌倉時代は武士による政治のしくみ、執権政治、元寇(げんこう)と呼ばれる外国からの大きな危機、さらには新しい仏教の誕生など、重要なテーマが凝縮された時代です。

この記事では、源頼朝から北条氏による政治のしくみ、そして鎌倉幕府が滅亡するまでの流れを、人物、制度、出来事の3つの視点から整理します。

また、鎌倉文化・新しい仏教についてもまとめています。

本記事の監修者

モコスタ統括マネージャー
小澤 珠美

小澤珠美

大学卒業後、大手進学塾で高校受験・中学受験の指導に15年間従事。特に中学受験において、御三家中学をはじめとする超難関校の算数指導・受験対策・保護者のサポートに尽力し、合格実績に貢献。
その後独立してさらなる成果を出し続けモコスタ専属の指導者となる。これまでに蓄積したすべてのノウハウを投入し、モコスタに通う受験生全員の第一志望校合格を全力でサポートする。
著書:『中学受験超成功法「ママは楽しく息を抜く」』ギャラクシーブックス 2017年
共著:『未来を創る〜私たちが選んだ道〜 輝く女性起業家』ブレインワークス 2017年

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目次

鎌倉幕府の成立としくみ

平氏の強引な政治に対する反発が高まる中、伊豆に流されていた源頼朝が挙兵します。

源頼朝・源義経の兄弟をはじめとする源氏勢は、全国規模で平氏と戦い、最終的に壇ノ浦の戦い(1185年)で平氏を滅亡させました。

源頼朝による武家政権の確立

1192年、源頼朝が天皇から征夷大将軍に任命される。

征夷大将軍となった頼朝は、武士のリーダーとして全国の武士を指揮・統率する権限を手にしました。

幕府を開いた鎌倉は、三方を山に囲まれ、一方が海に面していたため、守りやすい地形となっています。

奥州藤原氏の滅亡

奥州藤原氏とは約100年にわたり、平泉(岩手県)を拠点に独自に栄えた豪族です。

都の文化を取り入れた独自の平泉文化を発展させました。代表的な建築物に中尊寺金色堂があります。

源平合戦で活躍した源頼朝の弟・源義経は、頼朝に追われる身となり、奥州藤原氏のもとへ逃げ込みました。

頼朝は奥州を支配するため、奥州征伐を行い、義経をかくまった奥州藤原氏を滅亡させました。

幕府の中央組織と地方支配のしくみ

鎌倉幕府は、将軍を頂点に、武士による統治を可能にするための独自の組織を設けました。

組織名役割ポイント
将軍幕府の最高権力者全国武士のリーダー
執権将軍の補佐政治の実権を握った
侍所御家人の統制、軍事・警察武士の管理
政所幕府の一般政務と財政政治・財政
問注所訴訟(裁判)の審理法律・裁判

頼朝は、自らの権力を全国に行き渡らせるために、地方にも武士を役人として派遣しました。

組織名役割
守護国ごとに置かれ、国内の軍事警察を担当
地頭荘園公領に置かれ、年貢の徴収土地の管理治安維持など

御恩と奉公(鎌倉幕府の支配体制)

御恩と奉公:将軍と御家人の間の主従関係

御恩
将軍が御家人に与える土地の保証や新しい土地
・奉公
御家人が将軍に対して行う軍役(戦い)や警護

武士の生活:武家造りとよばれる簡素な家に住み、質実剛健(しつじつごうけん)な武士の気風があった。

承久の乱と北条氏の執権政治

頼朝の死後、源氏の将軍は三代(頼朝、頼家、実朝)で途絶えた。

頼朝の妻である北条政子の実家である北条氏が、将軍を補佐する執権という役職に就き、政治の実権を握りました。

これが執権政治の始まりです。

初代執権は北条時政です。

承久の乱(1221年)

源氏の将軍が途絶えると、朝廷の後鳥羽上皇は、幕府を倒して天皇中心の政治を取り戻そうと兵を挙げました。

これが承久の乱です。

  • 背景: 後鳥羽上皇が、政治の実権を握る北条氏を討つために挙兵。
  • 結果: 執権の北条義時らが上皇方を打ち破り、幕府が勝利しました。
  • 重要性: 承久の乱に勝利したことで、鎌倉幕府は朝廷の権威を完全に上回り、武家政権の地位を不動のものとしました。
  • 戦後処理: 幕府は京都に六波羅探題を設置し、朝廷の監視と西日本一帯の統治を行いました。

武家法の確立

執権政治の基盤を固めた三代執権北条泰時は、御家人たちの争いを公正に裁き、武士の慣習に基づいた法律を制定しました。

  • 御成敗式目:1232年に北条泰時が制定した、武士のための法律です。
  • 特徴: それまでの公家(貴族)の法律ではなく、武士の慣習を重視した内容で、武士の世の基本的な法律として後の時代にも影響を与えました。

元寇と幕府の衰退

北条氏による執権政治が安定してきた鎌倉時代後期、日本は大陸からの大きな危機に直面しました。

モンゴル帝国()と高麗の連合軍が日本に攻めてきた出来事を元寇といいます。

モンゴル帝国を築き上げた人物は、チンギス・ハンです。

元寇とは、モンゴル帝国が中国の全土を支配した後、国号を元と改め、日本に攻めてきた出来事です。

この時の皇帝は、チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンです。

二度の襲来

  • 文永の役(1274年)
  • 弘安の役(1281年)

幕府の対応
当時の執権北条時宗は、毅然とした態度で元の要求を拒否し、幕府の総力を挙げて戦いに臨みました。武士たちは、集団戦法や火薬を使う元の軍に苦戦しましたが、懸命に防戦しました。

結果
二度の襲来とも、日本側の奮戦に加え、激しい暴風雨が元軍の船団を襲い、大きな損害を与えたため、日本は勝利を収めることができました。

幕府衰退の理由

元寇に勝利したものの、この戦いは鎌倉幕府が衰退する大きなきっかけとなりました。

  • 御恩の不足
    幕府が御家人に与えるべき御恩は、戦いで得た新しい領地が基本です。しかし、元寇は「外国の侵略を防いだ戦い」であり、新しい領地を得ることができなかったため、御家人に十分な褒美を与えることができませんでした。
  • 武士の不満と生活苦
    手柄を立てても恩賞がもらえない御家人の不満がたまり、さらに長い戦いの費用で生活が苦しくなりました。
  • 徳政令
    幕府は御家人の生活を救うため、借金を帳消しにする徳政令を出しましたが、根本的な解決にはならず、武士たちの不満を抑えることはできませんでした。

産業と経済の発達

鎌倉時代は、武士が各地に広まったことで土地の開墾が進み、経済が地方へと広がりを見せた時代です。

農業の進歩

農業技術の向上により、これまでよりも多くの収穫が得られるようになりました。

  • 二毛作の開始: 西日本を中心に、米の収穫が終わった後の田に麦を植える二毛作が始まりました。(※室町時代に全国へ広がります)
  • 肥料の使用: 刈った草を敷き込む「草肥」や、草を焼いた「灰」、を肥料として使うようになりました。
  • 新しい道具: 鉄製の農具(鍬・鎌など)が普及し、牛や馬に農機具を引かせる「牛馬耕」も一部で行われました。

商業と流通の仕組み

物資の移動が盛んになり、定期的に物が売り買いされる仕組みが整いました。

  • 定期市: 月に3回、決まった場所で開かれる「三斎市(さんさいいち)」が各地で始まりました。
  • 問丸: 港や交通の要所で、年貢(米)や商品の輸送・保管を行う業者が現れました。(※室町時代に「問」へと発展します)

貨幣の流通

自給自足の生活から、お金を使って物を買う生活へと変化し始めました。

  • 宋銭: 日宋貿易によって中国(宋)から大量の銅銭が輸入され、日本国内で使われるようになりました。

鎌倉文化と新しい仏教

分野項目内容・特徴
文化全般特徴武士の質実剛健さ(飾り気がなく、心身が強くたくましいこと)と、新仏教の影響が強い。庶民の生活にも目が向けられた。
文学(随筆)『方丈記』作者:鴨長明(かものちょうめい)。地震や火災など世の無常(儚さ)を表現した随筆。
文学(随筆)『徒然草』作者:兼好法師(けんこうほうし)。後の時代(南北朝時代)に成立したが、鎌倉文化の流れをくむ随筆。
文学(物語)『平家物語』琵琶法師(びわほうし)によって語り伝えられた。平氏の栄華と滅亡を描き、諸行無常(すべてのものは移り変わり、常はない)の思想を伝える軍記物語。
美術(彫刻)金剛力士像仏師:運慶(うんけい)、快慶(かいけい)ら。力強く写実的な表現が特徴的。東大寺南大門に安置されている。
建築東大寺南大門雄大で力強い、大陸的な建築様式の代表例。

鎌倉新仏教(新しい仏教の広がり)

鎌倉時代は、「末法の世」の不安から、誰もが救われる新しい教えの仏教(鎌倉新仏教)が広まりました。

宗派開祖教えのポイント主な信者層
浄土宗法然「南無阿弥陀仏」とひたすら念仏を唱える。貴族、武士、庶民
浄土真宗親鸞念仏で救われる。特に罪深い悪人こそ救われる。庶民
時宗一遍念仏を唱えながら踊る「踊り念仏」を広めた。庶民
臨済宗栄西厳しい座禅の修行で自力で悟りを開く(禅宗)。武士、貴族
曹洞宗道元ひたすら座禅に打ち込む。武士、庶民
日蓮宗日蓮経典『法華経』を信じ、「南無妙法蓮華経」という題目を唱える。庶民

まとめ

鎌倉時代は、日本の歴史において武士による政治(武家政権)が初めて確立された、極めて重要な時代です。

源頼朝・北条政子・北条泰時・北条時宗に関連付けて覚えていくと効率良くまとめることができます。

鎌倉幕府は、御家人の不満が高まる中、朝廷側の後醍醐天皇の反撃や、有力武士の離反により、1333年に滅亡します。

次回は鎌倉幕府の滅亡から室町時代を確認していきましょう。

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